2008年04月07日

グラウンド・ゼロがくれた希望

この本、図書館で借りたはいいんだけど、感想残すかどうか、ちょっと躊躇して、今までのばしのばしになってしまいましたよ(当然延滞…明日こそ返却しよう)。

まあそんなわけで、堤未果『グラウンド・ゼロがくれた希望』ポプラ社、2004年。



9.11の時にまさにグラウンド・ゼロに居合わせたという数奇な運命をたどった筆者の自伝エッセイ。

いやはや…この人すごくピュアなんでしょうね。いい人なんだろうな。心が綺麗で。9.11を迎えるまでの、アメリカやアメリカが体現してる(とこの人が考えていた)理想に対する、きらきらとした疑うことを知らない恋心には、正直、どんびきでした。高校生ならまだぎりぎりセーフだけど…二十歳すぎてもそれって…。でも世界のために働くっていうセリフを臆面もなく言えちゃう性格ってちょっと羨ましいような、かといってそうなりたいかと言われたら「いや、私は遠慮しとくわ…」と、いいたくなるような。ま、このあたりはこの堤さんと私の性格の違いということで。

で、そんな彼女だから、9.11はまさに大ショック、言って見ればアイデンティティー崩壊の危機。もちろん、自身が突然の不条理な死の恐怖にさらされたということによるショックもすごく大きいわけで、そのあたりの深淵の底からはいあがってくる様子はエッセイとして、そこそこ読ませるものではないかな。でも、それは事件性の力が大きいというか、筆者が書き手として力があるかどうかというのはよくわからない。その点、リービ英雄の『千々にくだけて』は秀逸だったんだな、と気付く。

とまあ、文句たらたらですが、なんでわざわざブログに記録したかというと、今後読みたい本のメモのためです。

この堤さんの最新作『ルポ貧困大国アメリカ』が書評されてたんで、ちょっと読みたかったんだよね。あと『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』とか。堤さんは書き手としてどのような成長・変貌を遂げたのか、それが気になります。





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2008年03月01日

源氏物語と東アジア世界

源氏物語を読む前に、寄り道ばかりしています。
こんな本を読みました。

河添房江『源氏物語と東アジア世界』日本放送出版協会、2007年。




面白かったです。もともとロマンチックでダイナミックでちょっと潮の香りとかもするような共同体としての東アジア世界っていう概念が好きだから。超ダンディー、「アカデミックさとダンディーさは並存できうる」との命題を体現されている白石隆のおじさまの『海の帝国』も好きだったし(て、あれは東南アジアだっけ?場所どこだっけ?あああ、うろ覚えです、お恥ずかしい)。

本の内容は、『日本らしさ』の象徴とも思われている『源氏物語』を唐物や高麗人といった東アジア世界の<ヒト・モノ・情報>との関わりの中で読み解き、この物語が広く東アジア世界との国際関係というコンテクストの中で成立できた物語であることを示し、「源氏物語=日本の美意識の粋」「国風文化」といった考え方の相対化を図る、といったところでしょうか。なかなか新鮮な視線ですよね。

結構話の進め方がワイルドな気がしたけど、文学の論文ってこんな感じなのかなあ?それともこれが、元になった論文から「書き下した」NHKブックスだから、さくさく感が強いのかなあ。(元になった論文は『源氏物語時空論』という本で、こちらも手にとろうとしたんだけど分厚くてやめた・笑)。でも、そのワイルドさが読者をぐぐっとひきつける勢いになってることは確かだな。おもしろかったもん。それにしても、序章での歴史・経済史関係の先行研究をむちゃくちゃ大胆にオーバービューしてくれたのは、度肝を抜かれましたが。いやいや、アカデミックな勉強を離れて幾星霜(もともと勉強したことがないといううわさも有り)な私が言えるこっちゃないけどね。

『源氏物語』そのものの「国際性」を示している文章が大半を占めてるんだけど、個人的には作者・紫式部にそのような感覚をもたらした要因について書いてある章も面白いなって読みました(第5章)。その中で夫・宣孝についての描写があったんだけど、結構楽しそうな、さばけた旦那さんだったみたいね!初耳な話だったので、へー、楽しそうな人じゃん、て思いました。

その宣孝の性質をよく示すエピソードが『枕草子』「あはれなるもの」の段に残されている。吉野の金峯山寺に詣でる御嶽詣には、当時、身分の上下を問わず質素な身なりで参詣するのが慣例だったが、宣孝は美麗な装束で行き、慣例を破ったのである。
 宣孝は「まさか蔵王権現はみすぼらしい装いで参拝せよとはおっしゃるまい」とばかり、紫、白、黄と色の取り合わせも派手な衣装を四十過ぎの身でまとい、長男隆光にも青、紅の衣に摺り模様の袴を着せて参詣したが、周囲の人はみな瞠目して、こんな姿の御嶽詣をまだ見たことがないと驚愕した。ところが都にもどると、罰があたるどころか、異例の抜擢で筑前守に任じられたのである。宣孝の派手好きで大胆不敵な性格は、「唐人見に行かむ」と紫式部にいってよこすような、風変わりなことを好むところにも通じる。(本文102ページ)

ね、楽しそうな人でしょ?こんなボーイフレンドがほしいぜ!

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2008年02月17日

『千々にくだけて』

リービ英雄『千々にくだけて』講談社、2005年。

リービ英雄という存在は私の中でうっすらうっすら気になっていたもので。いつか読みたいと長年思っていたのですが、先日図書館からごっそり本を借りてきたときについに手にすることが出来ました!




“9.11”が発生した時、ちょうどアメリカ入りしようとしていた作者は経由地のカナダで足止めされる。行く場所でも帰る場所でもない場所から「その出来事」を見つめた。そんな体験を基にした小説になっています。

アメリカに生まれ英語を母語とし、そして父親の仕事の関係で少年時代から台湾・香港・日本といった「外国」に居住した経験を持つリービ英雄氏。翻訳、日本語による執筆などを数多く手がけ、現在は東京に在住とのこと。そんな彼の頭の中の言語風景・帰属感覚にとても興味があったのです。

主人公「エドワード」は、日本語で思考したり、独り言を言ったり、米語やそれに類する言葉を考え、聞き、話しながら「その出来事」の前後の時間を過ごしていきます。当事者なのか、当事者でないのか、その立ち居地もよくわからない。だけど、この描写は印象的でした。

<本文85ページより>
「歴代大統領の牧師」は、力がすこしもおとろえない、朗誦しているような声で、かれらはこれによって天国へ至りついた、と言った。
 説教壇のふもとに、ユダヤ教のラビとイスラム教のムラーが、エキストラのように小さく佇んでいるのも、画面の下あたりで見分けられていた。
 かれらは主といっしょにいる、だから、かれらのことを思うと、むしろよろこぶべきだ、と宣言する老牧師の、確信した単調な声が、カテドラルの通路まで鳴り響いた。
 天国だって? かれらはみんな、下の方へ落ちて行ったんじゃないか! エドワードは思わずテレビに向かって反論をとなえてしまった。日本語の声だった。

日本語という言語をもっていることによって、マスメディアを通して(時に増幅して)伝えられる「その現場」の渦潮に完全に身を任せない視座を得ているのではないかと。その出来事を経験した人に襲いかかったかなしみ・恐怖というネガティブな感情を共有することの意義を否定しているわけではないです。ただ、それとはちょっと別に、ものすごく大きなことが起こったときに、“マジョリティー”を支配する思考と同一でないものの存在の重要性みたいなものを感じるのです。多様性の必要、なんていうところかもしれないけど。「多様性」は「答え」を出すに至るまでに「統合」されるものかもしれないけれど、答えを出すまでは必要だと思うのです。もしかすると「統合」は必要ないのかもしれないしね。

そのようにして多様性を担保する存在は、それ自身の中に「どの当事者にもなりきれない寂しさ」というものを内包するのかもしれないけれど、それでも存在してほしいと思います。そんな視座を備えるリービ英雄氏の作品、ちょっといろいろ覗いてみたいなって思いました。

それにしても主人公のニコチン中毒ぶりには辟易と…。冒頭に延々繰り広げられるタバコへの執着の描写、生理的にダメ…。ごめんなさいね、スモーカーの方々。やっぱり私、タバコは苦手なんだわ。でも、これほど「うえー…」て思わせるってこと自体が筆力の証明になってるのかも、なんてね!



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2008年02月01日

源氏物語について

読書したわけではないのだけれど、今年は千年紀ということもあって、方々で源氏物語に関するミニエッセイが出てくることと思いますので、そんなものをちょっと抜書きしようと思います。

私も2月が終わったら源氏物語(与謝野晶子版)読破に挑戦です!


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三田村雅子(フェリス女学院大教授・日本文学)
主な著書に「源氏物語 感覚の論理」「源氏物語 物語空間を読む」「枕草子 表現の論理」など

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<抜粋>
物語が都世界の権力と栄達の物語を切り捨て、不遇と落魄の宮家の物語に心を寄せ、死と病と出家と救いの物語に大きく舵を切っていくのは、パトロンたちの期待を裏切り、はぐらかすための重要な方針転換だった。宇治十帖の荒々しい世界に足を踏み出し、権力の柔らかな圧力から逃れることこそ、源氏物語の最後の身ぶりであった。
 光源氏という勝ち馬の前で生涯負け犬として生きなければならなかった弟八宮。宇治の地に残り、死ぬことを選んだ大君。匂宮の官能的な愛も薫の俗物的な愛も拒んだ浮舟。その物語を語りぬくことで、源氏物語は栄華よりも権力よりも大切なものと向き合おうとする。天才光源氏ではなく、平凡な八宮・薫を描き、美しくて理想的な紫上でなく、欠点も誤解も、判断ミスもある大君・浮舟に焦点を結ぶことで、宇治十帖はわたしたちの隣に息づく「普通の人」の体温を伝えていくことに成功する。

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それにしても、歌人の小島ゆかりさんのこの一言も屈託がなくってなんだか「読破するぞ!」っていう鼻息荒い私の肩の荷を降ろしてくれた感じがして、いいものです。

「歌詠みでありながら、五十四帖を読みきったことのないわたしも、「源氏物語」を愛する読者のひとりである。」

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2008年01月30日

『小堀遠州 綺麗さびの極み』 

小堀宗実他『小堀遠州 綺麗さびの極み』新潮社、2006年。

小堀宗実:1956年遠州茶道宗家に生まれる。遠州茶道宗家、十三世家元不傳庵(ふでんあん)。
主な著書に『茶の湯の不思議』(NHK出版)、『遠州の美と心 綺麗さびの茶』(小学館)など。


こんな本を読みました。




利休・織部から遠州にいたる茶道の流れを紹介し、遠州の「綺麗さび」について、また彼の庭園造りなど、多岐にわたる「美の創造」について書かれている本です。
たまに情景の小堀宗実さんの対談やコラムなどもあって、素敵な読み物です。

心に残ったフレーズをページ順にメモしておきます。


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・幕府はカブキたる美と精神を嫌った。世の宝を損なうような秩序に反する織部の茶も忌避される運命にあった。織部が切腹を命ぜられたことは、文化史的には中央集権的な近世部文化形成に反抗するものの悲劇とみることができる。(25ページ)

・演習の茶杓をみると、きれいに左右の均衡がとれているものが多い。平衡感覚にすぐれ、かぶいていない。織部の大ぶりで豪快なデフォルメを好むカブキの美にかわり、洗練された華奢の美を楽しむ遠州の時代が到来した。(26ページ)

・遠州の点前の美しさが近世独特の「ダテ」という当時流行の言葉で表現されたところに、「わび」とも「カブキ」とも異なる、遠州の茶の湯があった。(28ページ)

・遠州はひとつの茶会に、桃山文化の利休に代表されるわび茶の流れと、東山文化の書院の茶の流れ、さらに古典的な王朝文化の流れを総合的に展開し、そのために茶室は、より大きな開かれた空間を必要とした。茶の湯の総合化ともいえる新しい茶を、遠州ははじめたのではないかと思える。(29ページ)

・その大量の茶道具に遠州は銘をつけた。その際、遠州は古典的な和歌のなかから言葉を選び、その出展となる和歌を箱裏に書きつけることがしばしばあった。これを歌銘と呼ぶ。歌銘は遠州以前になかったわけではないが、これほど多く使った例はない。遠州が王朝の和歌の世界を愛し、古典復興の一翼をになったあらわれが歌銘であったともいえよう。
ところが遠州は歌銘で、密かにわび茶のタブーを破っていた。茶の湯では和歌を書いた掛物も用いられるが、原則としては恋の歌を掛けない。生ま生ましい恋の“好き”は禁じられていた。しかし遠州は歌銘をつけるのに恋の歌をたくさん使っている。歌銘を通して遠州は、わび茶の理念にこだわらず、もっと日本人の情念の世界へ茶の湯の美を深めていったともいえよう。(31ページ)

・小堀:そうですね、明るさというのは非常に大事な要素です。現代は電気がありますから、当時と同じように明るさを捉えるのは難しいのですが。南禅寺の八窓席にしましても、演習は窓の数を大幅に増やして明るさを取り入れています。しかも明暗をドラマチックに使い分けている。簾をかけて薄暗闇のなかでお茶をいただき、終わると簾をぱっと巻くんです。そうすると、お茶室がぱーっと明るくなる。入ってくるのは、本当に柔らかい光なんですけれども、その明るさで、緊張した心が解けるんですね。そうすると会話ができるのです。道具を楽しむためにも、やはり明るさは非常に重要だったのではないでしょうか。(52ページ)

・小堀:演習は、ものごとを「総合する」ことに非常に長けた人だったと思います。(54ページ)

・「綺麗さび」には「つや」があります。「つや」とはすなわち、平和を謳歌しようとする時代に求められていた、王朝文化の古典主義的な美や均整のとれた明るく優美な装飾性、繊細で洗練された美意識……とでもいえば良いでしょうか。
具体的な例としましては、遠州が茶の湯の世界に「文学性」つまり和歌を導入したことが挙げられます。(小堀宗実氏筆の文章から:88ページ)

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平和な時代にふさわしい、美しく、心ひろびろと楽しめる雰囲気のの茶の湯かと思いました。小堀遠州、気になる人です。



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2007年09月24日

こんな本読んでるの



『藝大生の自画像』という本。

これ、ちょっと前くらいに何人かの美術系ブログさんで見かけた展覧会に関係するじゃん、とか思って。あの展覧会とこの本の企画ってコラボしてたりするのかな?今となってはよくわからないや。

藝大では卒業制作で自画像を描くんだって。そしてそれを大学が買い上げて保管するそうな。近現代を生きてきた美術を志す青年達の一人ひとりの怨念とでも表現できそうなものがこもっている自画像。本の中身はたくさんの画家とその自画像にまつわるエトセトラ、その後の人生についてなどなど書いていてなかなかおもしろいです。

口絵のところにはカラーでたくさん自画像が!

そのなかで私の大好きな1枚がありましたので…
どんなふうに惚れたかというのはこの日の記事に書いてあります。
ブログっていう日記はつくづく便利だね。

http://nonisakuhanatonare.seesaa.net/article/41182303.html

はい、この絵!!



藤田嗣治君です!!

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2007年06月03日

シンポジウム「日本の200年 日本の歴史は“特別”か“普遍”か」

昨日6月2日、昭和女子大学で開催されたシンポジウム「日本の200年 日本の歴史は“特別”か“普遍”か」に参加してきました。

イベント概要はこちら

最初はいつものミーハー根性、私のアイドル・カン様こと姜尚中氏情報スジからゲットした情報だったのですが、なんと、パネラーに川勝平太氏が!!この人はねえ、私がおばか大学生だった頃、すごくあこがれてた人!!またいつもの私的ジャーゴン「萌え」を使わせていただきますと、アカデミックに萌えさせてくれた人、なのよね。だから今回はかなり期待大で行ってまいりました!

基調講演はこの度著書の日本語版が「日本の200年」という題名で出版された、ハーバード大学歴史学部長のアンドルー・ゴードン氏。本当は「日本の200年」を呼んでからこのイベントに参加したかったんだけど…京都旅行の夜にでも読もうと思って持っていたのよね。でも、だめだった。毎日、歩きつかれてくったくた。夜ご飯食べると同時にまぶたが重力に負けて…みたいな感じだったから、当然未読。なんだこの感じ、指定論文を読まずにゼミに参加するときの居心地の悪さを100倍に薄めた感じの冷や汗。まあ、あの指定文献を読まずにゼミに出るときの死にたくなるような針のむしろ感は特別だけどね。

それはともかく、講演の概要は、ゴードン的歴史観ということで、「日本史」を見るときに、他の社会・歴史との類似性を見出すという「比較性」とグローバルな歴史のコンテクストの中で読み解くという「関連性」の2つの軸を用いる、ということで、その眼差しで見たときに、大きな意味を持つ歴史的イベントをいくつか列挙・説明してくれました。また、歴史の「関連性」ということで、語的にどうか、という、つっこみも心の中に抱きつつ、"multi-directional citation"ということを挙げ、例として世界における「女性(モダンガール)」の出現・相互関連性について語ってくれていました。同様に「ミシン」の広告表象についても興味深い論考を語ってくれていました。今度ミシンを題材にした研究をまとめるご予定のようです。

パネルディスカッションもなかなか面白かったです。4者4様というか5者5様(司会の坂東真理子先生も時々コメントを求められていたから)の関心対象・歴史観というものがでていたところを、それらをうまく敷衍して、というか、若干強引に、というか、まあ、それがコーディネーターのコーディネーターであるゆえんであるけれども、かなりの力技でうまく川勝氏がまとめてくれていました。川勝氏に惚れた。あと、こういっちゃ失礼千万だけど、はじめて、姜尚中氏のアカデミックな発言聞いた…(まじ失礼)。ああ、この人も学者だったんだ、みたいな、ね。私的カン様萌えポイントはアカデミックなところではなかったし、加えて、最近のカン様の言説はもうファンやめたくなるようなどうしようもない言葉の切り売りが多々見られたりだったんだけど、今日はなんだか惚れ直したわっ♪

ちょっときつそうだったな〜と思ったのはゴードン氏。やっぱり日本語ネイティブの学者とのディスカッションは少々酷な感じが。文献読むのと学術的なディスカッションを耳で聞き、すぐレスポンスするってのは難しいよね。でもね、出だしは苦しそうでも、最後まで聞いてるとちゃんと相手の発話に対するレスポンスになってるのよね、さすがだなあ〜ってこれは本当に感心しました。それにしてもハーバードの歴史学部長が日本研究してる人だなんて、なんとなく嬉しいようなくすぐったいような感じしない?

でねでね、私の予定では、今回の記事はこの辺で終わるはずだったのよ!ところがね!!なんとね!!!このあとね!!!!!

レセプションにもぐりこんじゃったの〜!!!!!予想外で〜す(←だから死語だって。)ていうか、予定外で〜す。

ありえなくない?まわりは学者に研究者に出版関係者に、と、エリートぞろい。間違いなく、私だけ、場違い。におい立つ、ばかのオーラ、隠そうとしても隠し切れるもんではない。もう、「おばか」と書いたコサージュでもつけてる気分でしたよ。そんな、ある意味マゾ的な気分を抱えつつ、会場へ…。

いやはや最初はね、まっすぐ帰ろうと思ったんですよ。でもね、ライブであの川勝平太氏に会えるチャンスってあんまりないだろうし、ちょっと強引でも握手とかしてもらっちゃおうかな〜と思って舞台袖にいったら、出版社の人役員の人かに「先生はレセプション会場ですから、どうぞ、ご参加ください」なんていわれて、超おろおろしながら急遽参加することになったのだ。

でね、結果として…ちょっとの時間だけど川勝氏独り占めしちゃったよ!!!すごくない?握手とかしちゃった☆名刺もらったし!!まじ、ミーハー。もう私の中では論文の著者としての記号である、活字の「川勝平太」ではないです。「川勝先生」へと変換された瞬間です。ていうかね、超魅力的。配られた資料にプリントされた写真はいまいちだったんだけど、近くで会ったら、超素敵なナイスミドル。やばい、惚れた。静岡の大学院いこうかな。しかも、どこでどう間違ってそういう話題になったかよく覚えてないんだけど「そのうちいい男性があらわれるから」と人生に対してものすごく重要なエールを送ってくださいました(笑)。先生、その予言、信じますよ、ていうか、すがりますよ。会場で配られた資料には近著として「美しい国三部作」という読む気もうせるような本を出しているらしくて、その題名を見たとき、「おいおい、学者として恥ずかしい本を出しちゃったんじゃないでしょうね」と、どん引きしたのですが、なんかこのお方が語る“美しい国”なら、また麻薬のような高揚感を感じられるかも、なんて思わせてくれる、そんな吸引力のある方でした。あぶない、あぶない。なけなしのクリティカル・シンキングをふるいたたせるんだ、自分よ。

で、次なるターゲットは、もちろん韓流スターのカン様。でもさすがカン様、出待ちの列が長い!!しかもご多忙!!!一瞬だけお話できたんだけどね…まったく、あのときの自分を呪い殺したくなりますよ。「以前、丸の内の丸善でのサイン会でお会いしたことがあります☆」とか、そういうミーハーな話題のふり方をしたもんだから瞬時にミーハーファン認定。私の前からあっという間に風のように去っていかれました。チーン。ひどおい、つれないっ!!そりゃー、ミーハーファンだけど!死んでも治らないおばかだけど!学術シンポジウムのあとのレセプションにミーハーファンはきちゃだめって?ひどいよー、ひどいよー。でもそんなクールさがまた追っかけ心をかきたたせるのよ♪でもやっぱり私はクールな人より楽しくお話できる人のほうが好きだから、今日のところは川勝先生に軍配があがったな。て、誰も私に審判を求めてないって。

カン様去りし後は会場でお近づきになれた、出版社の方と大学院生の方とお話させてもらいました!素敵なお二人でしたの〜!やっぱ賢い女性は素敵だわ。私もね、及ばずながらね、努力してね、ちっとはおばかから脱却しないとね、人としてだめだわ。そんな風におもったです。

ともかく、実り多き1日でした!!

あ〜またこういう機会がほしいなあ。楽しいよね。豊かだよね。

さ、後追いだけど「日本の200年」読むかっ!
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2007年04月03日

『BRUTUS no.614』『在日コリアンの言語相』

今日は短歌の課題はお休みにして本と雑誌をぱらぱらと読みました。

先日のレオナルド・ダ・ヴィンチ展の記事がご縁になったブログ「弐代目・青い日記帳」(美術情報がめちゃくちゃすごい!!)様にて紹介されていた雑誌BRUTUSと、先日買った学術書『在日コリアンの言語相』です



BRUTUSでは「西洋美術を100%楽しむ方法。」という特集が組まれていて、キリスト教を題材とした絵画を鑑賞するための基本知識が満遍なく読みやすく書かれていました。イエスの一生について時系軸に沿って、それぞれのイベントを主題にした絵を添えながら説明されているので、とてもよく頭に入るようになってます。なんとなく知っているような知らないような、といったことも一通り取り上げられているので、なかなかいい入門書になったと思います。雑誌的で口当たりの軽い説明も肩に力を入れずに読めたし。

それにしても普段男性誌なんて買うことないから、ちょっと新鮮でした。やっぱり女性誌とは広告が違うね。かっこいい男性モデルがたくさんでした。


で、次なる1冊。『在日コリアンの言語相』です。
学生の頃、社会言語学もしくは言語社会学に興味があったので、在日コリアンについてもう少し何か勉強したいな、と思っていたところにこういった言語学的な研究成果をみつけて喜び勇んで買ったわけです。
あー、学術書読むと癒される。て、ラジオ聞いて癒されたり、昨日から癒されてばっかだけど。学生の頃を思い出して気持ちが落ち着くのかな。なんていうか、こういう真摯な文章を丁寧に読むと心が透き通るような気がするよね。

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2007年02月25日

いろいろ

最近の姜尚中おっかけの補足資料としていろいろリンクをはっておこうと思います。

●シンポジウム「どうするどうなる憲法9条」
先日行ったシンポジウムで基調講演をする姜氏の様子が動画で見られます!

http://www.janjan.jp/living/0702/0702160176/1.php


●角川学芸WEBマガジン

これ結構面白いの。姜尚中氏の連載もそうだけど、他の記事もなかなか面白い。
それにしても、バックナンバーが読みたすぎる!リービ英雄さんとの対談とかすごく気になるんだけど。読もうと思えば携帯で読めるらしいんだけど、まとめて書籍化してくれないかなあ〜?

http://www.kadokawagakugei.com/magazine/

姜尚中氏といろんな分野の人との対談集なんだけど、初回の筑紫哲也さんとの対談と最新号のビデオ・ジャーナリストの中井信介さんとの対談が読めます。
「鳥瞰図」だけでなく「地面に這いつくばる目」のもつ意味、か。私もそういう、恣意的なフィルターの通し方をなるべく排除した、自分自身が対象と真正面から向かい合う見方、いいと思うな!
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書店って楽しい・立ち読みって楽しい

この記事カテゴリーを「読書」にするのはすごく気が引けるのですが、「読書」カテゴリーの記事があまりにも少ないということもあって、無理やりぶちこんでみました。

ていうか、読書して「へー、おもしろい」というお気楽で無責任なインプットから、まがりなりにも読後感というアウトプットをだすというところにいたるまで、私のミジンコの脳みそでは、なかなかたどり着けないのですよ、哀しいことに。だから、読書記事が増えないんだな。

まあ、そんなことはさておき、昨日のことなのですが、せっかく大きな本屋さんに行くんだから、と思って、早めに家を出て1時間近く立ち読みしてきました。

やっぱ、書店っていいね〜!アマゾンで買い物するのとはわけが違うよ!実際読めるっていい!!
図書館にいったって、今、リアルタイムで気になる新刊本なんて読めないからさぁ、いまいちエキサイティングじゃないんだよね。

そんなわけで、平積みされてる新刊本を中心にいろいろつまみ食いしてきました。

えー、以下のリンクはアマゾンの当該書籍の紹介ページにつながってますが、アフィリエイトではないので、心置きなくクリックしちゃってください!

まずは手嶋龍一&佐藤優の対談『インテリジェンス 武器なき戦争』。この手嶋さんって9・11のときのNHKワシントン支局長だったてっしーのことよね?そうよね?あのころは「変な顔〜」(←まじで超失礼。)とか思ってただけなんだけど、この人めちゃめちゃ面白いんじゃん。佐藤優氏もキレモノよね〜。ノンキャリなんでしょ?その辺のキャリアよりずっと使える人材でしょ、きっと!

そんな二人のエキサイティングな対談。インテリジェンスって、なんていうの、情報分析・諜報みたいな意味よね。もちろん外交の姿勢みたいなところに応用されるべき話なんだと思うけど、普段の生活にあてはめて考えてみたって、こういう、情報を自分の中で消化して再構築する、それをうまい具合に他者と交換する、みたいな技術って必要よね。

これは最後まで読みたかったかも〜と思いつつも買わずにおいてきました。

で、田崎真也っていうソムリエさんの『接待の一流 おもてなしは技術です』てのもちょっと読んできた。
なるほど、私の中にも、「ホスピタリティ」という思想は根付いていないなあ、と反省させられることしきり。大切な視点だと思いました。自分の土壌が変わるまで手元において繰り返し読み、そして、実践することが大切、という意味で、買ったほうが良かったんだろうけど、なんとなくめんどくさくって買わなかった一冊。この「めんどくさい」ってのが自分変革を妨げるのよね〜!

そのほかは今年の楽しみにしてるいろんな美術館の企画展の予習もの。

春にダヴィンチの「受胎告知」がくるって聞いたので岡田温司の『処女懐胎―描かれた「奇跡」と「聖家族」』をちら読みしてきました。やっぱりこういうテーマって、信仰という土台を共有していないものにとっては、書籍なんかを読み込んで理解力をカバーする必要って感じちゃうわけだ。

ダヴィンチつながりで、そういえば池上先生が本出してたな〜と思って、美術本コーナーにも足を運びました。
それが池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ』です!
気になる作品はすごいアップで図版が載っていたりして見ごたえ十分!春のダヴィンチ展前にほしいな〜と思ったのですが買わなかったよ〜。

で、新書なのにカラー図版が豊富で心惹かれた一冊。朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』!!
これもね、年末くらいに新美術館にオランダ絵画が来て、その中にフェルメールもあるらしいのよね。楽しみ、楽しみ!

ちなみに…この本は買っちゃいました〜♪
読んだらたぶん「美術」カテゴリーで記事をアップしようと決意してます。決意倒れに終わりませんように!!
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2007年02月24日

クリティークと萌えのあいだ −姜尚中トーク&サイン会−

一応、記事タイトルは、あの映画にもなった小説のパロディです。エンヤがきこえてきそうです。

というわけで、いってまいりました!
場所は丸の内オアゾにある丸善さんかわいい

だいわ文庫創刊1周年記念
『日本人はどこへ行くのか』(大和書房)刊行記念
姜尚中さん トーク&サイン会、です!!揺れるハート

ええ、ええ、ミーハーですから、おっかけですから、ファンですから、彼は私のアイドルですから。なんとでもつっこんでください。

ちなみに、本の内容を確認せずに購入してしまったわけなのですが、基本的には1995年に出版された本に若干の追記をして文庫化したものです。

で、6時の開演時間になって現れた姜氏は、グレーのスーツにノーネクタイでシャツのボタンをラフにはずしているという、なんだ、この、私の萌えポイントに160キロ級のストレート剛速球をなげこむスタイルは!!みたいないでたちでした。

お風邪を召されているとのこと、もう、「せんせ揺れるハート今日はもうお帰りください。資料の整理は私がやっておきますから揺れるハートえっと、コピーには直接蛍光ペンでラインひいちゃっても大丈夫ですか?揺れるハート」みたいな、使える助手になって、しかも、さりげなく風邪薬を渡したい!!みたいな妄想も炸裂するわけです。

…ていうか、きもいね、私。
書いていて、自分できもくなってきたわ…。

公演の内容は、今この時代にもう一度この本を出版することの意味づけといったところで、北朝鮮の核をめぐる六者協議の評価や「東北アジア」の未来像などについて語っていました。

うーん、私の基礎知識のあいまいさに起因するところも大いにあると思うけど…「これはすごい!!」級のエキサイティングさを伴ってこちらにぐいぐい吸収されるような議論ではなかったかな〜なんて思っちゃったりして…。私の知識不足なのか、姜氏の議論にアカデミックな緻密さが不足してたのか…ごめんね、ごめんね〜、そんなえらそうなこといえないんだけどさ〜。
あと、基本知識っていう問題だけでなく、私が学生時代「同時代を論じる眼差し」というものをトレーニングしてこなかったっていう要素もあるかもしれないわね。同時代を語るときの「え、そんなこといっちゃっていいの、飛躍しすぎじゃない?」「アカデミズムは”未来の可能性”についてどこまで言葉をつむいでいいの?」的な気持ち悪さ・勇気の出せなさに耐えかねて、私はもっとあたりさわりのないジャンルを勉強してたわけだけど。まあ、そんな私の弱点をつついてくる内容ではあったわけです。
でもさ、裏を返せば、萌えが原動力になってるというスタート地点はどうあれ、自分が今まで避けてきたジャンルに目をむけることになったっていうのはありがたいことだよね。

まあ、私の土俵ではなかったな、というアウェー感をひしひしと感じながらも、一生懸命人の話を聞いて考えをめぐらせた1時間は、なんだか、学生時代を思い出させてくれるような、得がたい時間でした。

氏のトークが終わってQ&Aタイムもありました。やっぱ、質疑応答って突っ込んだ話が聞けて面白いよね。2人質問していて、六者協議におけるロシアの役割・思惑について、と、「東北アジア」の未来において日本と韓国がタッグをくむ…という氏の構想について、もちょっとクラリファイさせて、みたいなものでした。氏がどのくらいアジア経済についての深い知見があるのか知らないし、そもそも私に知見が皆無なのであるからして、その議論の妥当性を判断できないのが如何せん哀しいところなのですが、日本と韓国が手を携えて(←特に経済的紐帯を念頭にしゃべってたように聞こえた)中国とのパワーバランスをとっていく、みたいな青写真は、どこまで具体的なの?ってちょっとダウトをかけたくなりました。疑問には思うけれど、具体的に自分の反論が出せないってのが、結局のところ、勉強不足の凡人の悲しさよね。

うーん、ていうか、姜尚中氏ってアカデミックな人なのかどうなのか…。判断しかねるなあ…。
私にとっての氏の魅力は著書『在日』の中に凝縮されてるからなあ。雄弁なる声を持つ在日コリアンという存在がすごく魅力的に感じたんです。政治学者(…学者、よねぇ、やっぱり…うーん…)としての氏は、それほど私をアトラクトしないかも…なんていったら悪いかしら。ていうか、私の頭が悪いだけかしら。

まあ、そんなことを、足りない頭でいろいろ考えながら、サイン会にうつっていったわけです。

ここでね、また頭の足りなさ炸裂ですよ!
氏を目の前にしたら、今まで頭でくるくる考えていたことなんてみんな「萌えの嵐」に吹き飛ばされちゃったわけです!
だって、サインに名前添えてくれたんだよ?握手してくれたんだよ?至近距離で笑顔を見ちゃったんだよ?あー、終わりよければすべてよし、だ。そう思った私、しまりのない顔してたんだろうなー、とちょっと反省。

で、見る見る?見たい?ていうか、見て。

直筆サイン〜揺れるハート








家宝にするざます!

姜尚中氏の手は大きくてあったかかったです。
このぬくもりは忘れられないでしょう。良くも悪くもこのぬくもりは、私が氏の書物を読むときの眼差しを暖めてしまうものだと思います。
posted by はな at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月15日

シンポジウム『どうする どうなる 憲法9条』

記事のカテゴリーを何にするか迷ったのですが、「読書」と「勉強」というものが関連性があると思ったので、ここはひとつ広くとらえて、こういう「向学心」のままにおもむいたイベントも「読書」カテゴリーにいれようと思います。

でも…向学心なんていってるけど、最初に正直に告白しますが、「姜尚中氏を生で見たい揺れるハート」という、単なるミーハー根性で行きました。こういうまなざしは姜氏にとって不本意かもしれませんが、彼は私のアイドルです。氏の著書に対してはクリティカルなまなざしではなく、むしろ、愛しむような高揚感を持って接してしまいます。って、実は、他の学者の本も同じようなものかもしれない。私の弱い頭ではクリティークということまでおぼつかなく、ただ、その構築された世界に美しさや熱情を感じたら、それに溺れながら読んでしまう、という、はなはだ「大学出たのが無駄!!」的な読み方しか出来ないんです。まあ、この世を動かしてなんかいない、どこにでもいる一介のOLだし、別にいいよね、本なんて好きな読み方して。

ま、そんなわけで、あこがれてたアイドルのライブに初めて行くようなそんなわくわく感を抱いていってきました、霞ヶ関!

名づけて、弁護士会主催憲法シンポジウム『どうする どうなる 憲法9条』!!
サイトはこちら↓
http://niben.jp/02topics/2006/070215.html

ではライブレポートいっきまーす!

5:30開場、6時スタートだったにもかかわらず、お昼に美術館で長居をしてしまったので、遅刻して入場。席は結構満席に近く、しょうがないので後ろのほうの空いてる席に体をねじりこむ。おめあてのパネルディスカッション(ていうか姜氏の登場揺れるハート)はまだはじまっておらず、ほっと一安心。でも、だれかしゃべってるのだけれど、様子が変。どうやら最初は政治家がしゃべってるよう。自民・公明・民主と1人ずつでてきてしゃべってるのだけれど、「うそつき!!」とかいってヤジ飛んでるの!!超どんびき!!これは何の政治集会ですか?私、こういうの生理的に受け付けないんですけど。原則として何事においても「徒党を組めない」精神構造の私としては、居心地の悪さMAX。「私、場違い」的冷や汗がだらだら。徒党を組むって、ともすれば、自分の頭を使って思考するということを放棄しがちになるよね、徒党で共有された考えをふりかざすだけで。壇上の政治家も、会場で野次を飛ばしてる人たちも同じに見えたよ、「自分が属する集団のたてまえとしての言葉しか吐いてない」って点において。でね、いや、別に共産党支持者の人達を云々言うつもりはないんだけど、共産党と社民党(←うえっ、まだ政治家やってんだ、の辻本清美さんが出たの!!!)のスピーカーが出たときだけは拍手で迎えるっての変だから、気持ち悪いから。そもそも、発言を受け入れる精神構造が違うってアンフェアよね。まあ、そんな感じで、政治集会臭ぷんぷんの前半が終わり、もう、げんなりですよ。よっぽど帰ってやろうかと思ったけれど、ここまで来て姜氏のご尊顔を拝まず帰れるか、とふんばりました。

そこに、夢にまで見た(←おおげさ)姜尚中氏登場!!すごいすらっとしていて、端正な面立ちで、かあああっこいい〜!!!まじ萌え!(↑で「発言を受け入れる精神構造」云々と言ってるのはこの際見逃してくださいキスマーク調子いいですね、私^^;)基調講演でするんるんソフトな語り口にますます萌え!
それまでの、しなやかさを失った言葉の応酬の流れを華麗にぶちぎってくださって、北東アジア、彼の言葉で言うところの東北アジア(これは東南アジアに対するワードなのかしら?どういう背景があって東北アジアって言うようになったのかちょっと気になりました。)の中の日本の力という思考的枠組みを提示してくれました。素敵〜ハートたち(複数ハート)

基調講演に続き、コーディネーターに司法試験の伊藤塾の塾長・伊藤真氏(通称イトマコ。生イトマコも初めて見たよ!ていうか、この人しゃべりすぎ。)ともう一人弁護士さんがついて、パネラーには姜氏を含め3人の学術関係者がついてパネル”ディスカッション”が始まりました。あえて「””」をつけたのは、ま、それが普通だとは思うけれど、コーディネーターの出すお題に沿ってお三方がそれぞれ意見を言う、という、「議論をかませていく」というタイプのエキサイティングなディスカッションのタイプではなかったから。ま、いいんだけどね。三者三様の視点で、少なくとも前半のスピーカー達よりは「自分の言葉」をつむぎだして語ってくれて、少しは前半のどんびき気分も回復してきて、よかったです。会場の「マジョリティー」と思しき人たちに若干おもねるような音色も聞かれましたけど、まあ、あのぐらいなら自分の中で織り込み済みかな。どちらがいいとかわかんないし、完璧な理想像とかも提示できないけれど、やっぱり聞いててアカデミックにエキサイティングなディスカッションって、大学とかそういう場とかじゃないと実現し得ないのかな。そう思うと、大学時代もっと勉強しておけばよかったと、劣等生は思うわけです


あとさ〜、別にイベントの楽しみ方なんて人それぞれだから、私がとやかく言う権利もないんだけどさ、与党+民主党のスピーカーの時にやじ飛ばしておきながら、パネル”ディスカッション”時に自分に都合のいい文言を聞き取るたびに局所的にぶんぶん頭をふってうなづく人って、何考えてるの?自分の中で咀嚼する時間ってもうけてる?それとも咀嚼とか思考とかそんなこと必要ないくらい、神のように賢いわけ?私、議論ってさ、「うなづきあいとの決別」だと思ってんのよね。相手の発する言葉を受けて、そこでうなづかず、いかに思索し、アウトプットを出していくか。それが議論というものだと思う。まあ、パネル”ディスカッション”してるパネラーの様子をオーディエンスはただ見ているだけ、質問の機会も与えられない、というイベントの作られ方じゃ、視聴者はうなづくだけしかできないっていわれればそれまでなんだけどさ。なんか、あの、頭ぶんぶんふってる人達みるとげんなりしてきた。

でもまあ、普段の関心分野が偏っている私にとっては、ああ、こういうトピックもあるんだ、と思わされたことがこのイベントで耐えたことにより得られた収穫です。

もうひとつは、もちろん揺れるハートライブ姜氏を見ることが出来たこと!
posted by はな at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

山崎豊子『華麗なる一族』



ドラマ視聴を断念して原作の小説を読むことに決め、一気に読んじゃいました『華麗なる一族』!いやー、おもしろかった!さすが、版を重ねてるだけあるね。がんがん読みすすめられちゃいます。ドラマで放送した分だけでも結構カットされてたり、変わってたり、複数の筋書きが1本にねじりあげられていたりと、いろいろ工夫してるみたいだけど、そりゃあこれだけの分量の小説をそんまま10時間にぶちこむってのは無理よね。映画化もされたみたいだけど、これを2時間にまとめるって、どんなストーリーになったのか、ちょっと興味わきます。でも、正直、映像化するより、活字読んだほうが楽しめるんじゃないかしら。この美しいくらい重厚な世界観はちょっと映像じゃ出せないんじゃないかな〜。読者のイマジネーションに任せたほうがいいんじゃないでしょうか。

ストーリーは…ドラマ放送中なので詳しく書くのは差し控えますが、あれがこうなって、あの人がなんとこうなって、そして、最後はこうなるんですよ〜!!!(←なんだ、それ)とにかく、最後まで楽しませてくれる、なかなかのエンターテインメント性を持ってます。

ドラマは木村拓哉さん主演だけど、原作のほうは万俵大介がメインです。読み終わって感じることは、「鉄鋼マン」ていう表現があるけど、あの時代の鉄鋼マンてやっぱりああいう熱い感じだったのかな〜なんてこと。ものづくりにかかわるメーカー全般的に言えることなのかもしれないけど、特にあの時代、鉄はやっぱり熱かったのかもしれない。そんな歴史性を感じさせられました。
あとは、銀行っていう事務屋の権化みたいな商売と、メーカーっていう事務屋・技術屋がいりまじって仕事していかなくてはいけないところの比較。何がどうって書くとストーリーの流れを示唆してしまうことになるのでやめておきますが、小説は特異な世界とはいえ、メーカーで要職に着く技術屋さんは事務方のいうことをちゃんときいたり、事務の人心掌握をおこたらないように努めたりすることが重要だわね〜と思うわけです。

posted by はな at 20:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

わーい、本届いた♪

アマゾンで注文してた本が3冊届きました!
これがその写真!

右下の『在日』という本以外が今回購入したものです。
左上から
『ナショナリズムの克服』
『日朝関係の克服』
『在日 ふたつの「祖国」への思い』



今回は私の敬愛する姜尚中氏の本でそろえてみました。姜尚中氏は私に「在日コリアン」というテーマに興味を持たせてくれた『在日』という本を書かれた人です。

『在日』は学術書というわけではなく、在日コリアン二世として生きてきた半生を綴ることによって一世の心、二世の思い、それを取り巻く社会、苦悩する内面を照らし出す、かなり熱い本です。

私は姜氏のことを「アカデミズムのロマン派」と勝手に呼んでます。怜悧な思考を持って書き記す学術論文だけには収まりきらない、自らの生に端を発する「表現したい何か」が渦巻いてる人だと思うからです。

そしてそして、それに加えて、男前〜揺れるハートcool mindとwarm heartが絶妙にマッチした面立ちだと思うんです。人格って顔に出るのよね〜。私も、こういう内面のにじみ出た表情をした大人になりたいものです!

さあ、これから3冊じっくり読んでくぞ!
posted by はな at 22:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

田月仙『海峡のアリア』

在日コリアン2世の歌手、田月仙(チョン・ウォルソン)さんによる自伝的な作品です。2006年の「小学館ノンフィクション大賞」優秀賞を受賞されています。

昨年の暮れに購入して一気に読了したのですが、今日改めて再読しました。この間映画『パッチギ!』を見たことも影響しているけど、私にとって「在日コリアン」というのは、「まっすぐなまなざし」で見つめたいテーマの1つなのです。それは姜尚中氏の『在日』という本を読んでからかな。

語弊があるかもしれないけれど、洗練されているとはあまり形容できない、素朴な文体で語られるその半生は、歌の喜びと「祖国」と「祖国」の間で揺れ動く心の苦悩にあふれ、その事実自体がドラマチックです。

日本の音大受験の時の差別、北朝鮮で歌ったこと、韓国で歌ったこと、北朝鮮へ渡った兄達への思い、「祖国」の歌を追い求めたこと、日本とコリア(←うまくあらわす日本語がないのがもどかしい!)という2つの祖国の間で戸惑う気持ち。

音楽は苦悩を忘れさせてくれた。しかも苦悩を忘れさせてくれる”場所”は皮肉にも祖国ではなく、ヨーロッパという「他郷」であった。
「ルーマニア国立オペラ団の素晴らしい共演者とスタッフに囲まれて、私は思い切り歌い、踊り、演じることができた。鳴りやまぬ拍手と華やかなカーテンコールの中で、舞台人として私は幸せだった。
そこには国や民族、政治や思想を越えて共有できる感動があった。
音楽の力はなんて素晴らしいのだろう。(246ページ)」

そんな彼女だが、2つの祖国を持つからこそ、祖国への情愛は誰よりも深い。
「私の二十数年の歌手人生は、日本と朝鮮半島の狭間で揺れ動いた年月であった。
それは一人の人間として、自己の存在を確かめるための果てしない旅でもあった。故郷日本でありのままに生きたいという思いは、常に目に見えない何かに阻まれ、私の心の隅に追いやられていった。あきらめにも似た感情と違和感の正体を追い求めて、私は生きてきた。
投げやりになり、失望しかけたとき、優しく差し伸べられた手に何度も救われた。その手は母のものであり、私を育てた日本、そして苦悩する朝鮮半島そのものであった。(中略)
いつの頃からか私は、二つのふるさとへの切ない愛を歌っていた。(261ページ)」

私が住んでいるこの日本という国が内包する在日コリアンという存在について、日本人とも韓国・朝鮮人とも違う彼ら彼女らが抱える歴史と心について、在日コリアンという隣人達の祖国でありまた私にとっての隣国である「朝鮮半島」について、知ることを放棄してはいけないのだと感じさせられる力ある作品でした!
posted by はな at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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