2008年02月17日

『千々にくだけて』

リービ英雄『千々にくだけて』講談社、2005年。

リービ英雄という存在は私の中でうっすらうっすら気になっていたもので。いつか読みたいと長年思っていたのですが、先日図書館からごっそり本を借りてきたときについに手にすることが出来ました!




“9.11”が発生した時、ちょうどアメリカ入りしようとしていた作者は経由地のカナダで足止めされる。行く場所でも帰る場所でもない場所から「その出来事」を見つめた。そんな体験を基にした小説になっています。

アメリカに生まれ英語を母語とし、そして父親の仕事の関係で少年時代から台湾・香港・日本といった「外国」に居住した経験を持つリービ英雄氏。翻訳、日本語による執筆などを数多く手がけ、現在は東京に在住とのこと。そんな彼の頭の中の言語風景・帰属感覚にとても興味があったのです。

主人公「エドワード」は、日本語で思考したり、独り言を言ったり、米語やそれに類する言葉を考え、聞き、話しながら「その出来事」の前後の時間を過ごしていきます。当事者なのか、当事者でないのか、その立ち居地もよくわからない。だけど、この描写は印象的でした。

<本文85ページより>
「歴代大統領の牧師」は、力がすこしもおとろえない、朗誦しているような声で、かれらはこれによって天国へ至りついた、と言った。
 説教壇のふもとに、ユダヤ教のラビとイスラム教のムラーが、エキストラのように小さく佇んでいるのも、画面の下あたりで見分けられていた。
 かれらは主といっしょにいる、だから、かれらのことを思うと、むしろよろこぶべきだ、と宣言する老牧師の、確信した単調な声が、カテドラルの通路まで鳴り響いた。
 天国だって? かれらはみんな、下の方へ落ちて行ったんじゃないか! エドワードは思わずテレビに向かって反論をとなえてしまった。日本語の声だった。

日本語という言語をもっていることによって、マスメディアを通して(時に増幅して)伝えられる「その現場」の渦潮に完全に身を任せない視座を得ているのではないかと。その出来事を経験した人に襲いかかったかなしみ・恐怖というネガティブな感情を共有することの意義を否定しているわけではないです。ただ、それとはちょっと別に、ものすごく大きなことが起こったときに、“マジョリティー”を支配する思考と同一でないものの存在の重要性みたいなものを感じるのです。多様性の必要、なんていうところかもしれないけど。「多様性」は「答え」を出すに至るまでに「統合」されるものかもしれないけれど、答えを出すまでは必要だと思うのです。もしかすると「統合」は必要ないのかもしれないしね。

そのようにして多様性を担保する存在は、それ自身の中に「どの当事者にもなりきれない寂しさ」というものを内包するのかもしれないけれど、それでも存在してほしいと思います。そんな視座を備えるリービ英雄氏の作品、ちょっといろいろ覗いてみたいなって思いました。

それにしても主人公のニコチン中毒ぶりには辟易と…。冒頭に延々繰り広げられるタバコへの執着の描写、生理的にダメ…。ごめんなさいね、スモーカーの方々。やっぱり私、タバコは苦手なんだわ。でも、これほど「うえー…」て思わせるってこと自体が筆力の証明になってるのかも、なんてね!



posted by はな at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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