2008年01月19日

日本と西洋・近代美術の100年

国立新美術館で開館1周年を記念して高階秀爾先生の講演があったので聞きにいきました。題名は「日本と西洋・近代美術の100年」。どのあたりの100年かなあ、と思っていたのですが、かなり近い100年でした。なんとなく私の高階先生イメージよりももっとモダン、コンテンポラリーな感じ。あと、高階先生だから、というわけか、お話のほとんどは“西洋”の作品を通したもので、日本の作品群は最後のほうのちょろっと申し訳程度に触れられた感じでしたが、ま、それでもいいか。

そんなわけで、講演の内容をメモ書きしておきます。ほんとにメモだけなので、これを読んでもあまり面白くないかもしれませんが。しかも、メモを取らず、聞き流してしまった部分も多いかもしれないけれど、ご愛嬌、ということで許して〜。



「日本と西洋・近代美術の100年」於国立新美術館

●美術における「モノ」の扱い。「モノ」とのかかわり。

●アポリネール(作家・詩人)の作品:「シュブラック氏の消滅」…人が壁の中に消えていくという話。
何がヒントになっていたのか?⇒当時の美術の流れからインスパイアされた?
ピカソ《アビニョンの娘たち》(1907年)…画面という平面に強引に人間をあわせる、あるいは、彫刻的に極端に陰影をつける。
キュビズム…人間の丸みをパーツにして平面化する

輪郭の消滅
↓    ↓
・抽象画 ・ 「モノ」の再復活(ピカソ・ブラックら)

1920年代
ピカソ…新古典主義時代
ブラック…静物画に木目模様の壁紙を取り入れる。ピカソもその手法を追いかける→コラージュ「モノの現実は戻ってきたが画面は平面のまま」
マティス…色彩による平面化。例)垂直の壁と水平の床とが色彩によって一体化(=平面化)している。

マグリット…「これはパイプではない」と書き添えられた、パイプの絵《イメージの裏切り》→「モノ」と「イメージ」の関係性の問題を提示。「モノとイメージは切り離されているものである」⇒シュルレアリスムへと。
ポロック…《カットアウト》カンバスはイメージでありながらモノでもあることを示した。

コラージュが発展したり、「モノ」そのものを出展したりするようになった。
イメージとモノの互いの領空侵犯が起こっている。
そして、芸術と現実の領空侵犯も起こっている。


すみません。かなり端折ってることに気付きましたが…。

なんだろな〜。個人的な、非常に主観的な感覚をいえば、最近100年くらいの「芸術」っていうのは、こういう風な感じで知的遊戯的には非常に楽しいんだけど、実際にそれと、そのモノでもイメージでもいいけど、向きあった時、充足した感覚を得られるかっていうと、私的には、もうちょっと数百年くらい古いほうがいいかな〜と思ったりするわけです。古い人間ですから。

私は私なりに数百年くらい前の感覚を引きずりながら「芸術作品」と触れ合おうと思います。たまにこういう新しいものに関するスパイスも味わいながら!

それにしても、今度は高階先生の、それこそ数百年くらい前の時代に関するお話を拝聴してみたいものです♪


ちなみに会場でもらった新美のポストカード☆


posted by はな at 20:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はなさんも行かれたのですか!

私も拝聴してきましたよ。
高階先生のお話はまさに
立て板に水。もっともっと
聞きたかったですね。
Posted by Tak at 2008年01月20日 15:16
♪Takさん♪
楽しんでいってまいりました♪
Takさんもいらしていたのですね^^

先生のお話はなんだか大学の授業を思い出させるような感じがしました(といっても私は美術関係の専攻ではないですが)。
あんな感じのお話を1学期分じっくり聞けたら楽しいだろうな〜と思いました。
そうもいかないので、自分で少しずつ勉強です^^;
Posted by はな at 2008年01月21日 13:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。