2007年10月04日

バッハ

これはだいぶ前にバッハの平均律クラヴィーア曲集のCDを借りたとき、同封されている解説の中に書かれていた一節です。

私がバッハの音楽に対して感じていることをすごく上手に美しく言葉にしてくれたという感じがして、何度も読み返してしまいました。

ここに記録しておきます。


++++++

だがバッハにとってそれに劣らず重要だったのは、平均律の全空間を踏破することの持つ、神学的・象徴的意味であったに違いない。バロック時代の人々にとって、宇宙は神の手で数学的な秩序を与えられたものであり、音楽をするということは、神の秩序構成を模倣することに他ならなかった(「もろもろの天は神の栄光を表し、大空は御手の技を示す」―詩篇、「神はよろずのものを量と数と重さとで定めた」―ソロモンの知恵の書、「音楽は魂が知らず知らずのうちに数を数えることである」―ライプニッツ)。そうであれば、ハ長調から始めて長短調を交互しつつロ短調へと達する曲集を完成したとき、バッハはキリスト者としての心の満足を味わったに違いない。宇宙の秩序がいまや余すところなく音楽に移され、作曲を通じて、神の創造の模倣が完成したからである。締めくくりのロ短調フーガで、バッハは主題中にオクターブの12音すべて使い、音楽による宇宙空間の踏破を、最後にもう一度象徴する。《平均律》は、神の秩序の似姿としてのミクロコスモスの提示というドイツ・バロックの音楽理念の、もっとも典型的な具体化のひとつに他ならないのである。

磯山雅
posted by はな at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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