2007年06月28日

勉強とお嫁さん

なんとなくもやもやと思ってることを書きます。
もやもや考えてるだけだから、たぶん書いても結論が出ないと思うけど。

先日電車か地下鉄に乗ってたとき、車内広告をなんとなく見てたんです。そしたら、倉庫会社がワインの保管サービスをしてますっていう広告を出していました。そこに4人家族と思しき人たちのイラストが書いてあって、父親が息子の肩に手を置いて「この子が大学を卒業する日まで」、母親が娘の肩に手を置いて「この子が結婚する日まで」というような内容のセリフの吹き出しがついてたんです。つまり、そういうアニバーサリー的なワインの楽しみを提案しつつサービスを宣伝する、ということなんでしょうけど。

これ、セリフが反対の位置に配置されてたら、かなり斬新だな〜なんて思いながら、でも、それじゃ広告として斬新すぎるんだろうな〜と思ったわけです。

いや、別に、なんか「男女同権がどうのこうの〜!!」みたいに鼻息荒く目くじら立てたいわけじゃないんですけどね。

大学にいくこと、およびそれに関するもろもろ、みたいな価値は、女の子と男の子のどちらか、といわれれば、男の子により高く期待されてるんだ、と、思ったのです。結婚をする、およびそれに関するもろもろ、みたいな価値観は、男の子と女の子のどちらか、といわれれば、女の子により高く期待されてるのね、と思ったのです。男性も女性も勉強するのに、女性も男性も結婚するときはするのに、まるで、女性にとって勉強ということはそんなに大事にしなくていいかのように、男性にとって結婚生活というのは二の次にないがしろにしていいかのように。そしてなにより、大学へ行くこと、結婚すること、というのは社会的に共有されている“価値”なんだ、と、あらためて思わされたわけです。

私個人のことを言えば、ありがたいことにかろうじて学校は出ることができました。でも万年おちこぼれの立派な劣等生だったし、そんなんだから学校をでたってしがない一雇用者、使い捨ての駒でしたよ。(おまけに今は天下御免の自由人!)そして、もうひとつの“価値”、結婚ってことにしても、どうも敗戦ムード一色。勝つ見込みがない!

女性としても、仮に男性として生まれたとしても、私の属性じゃ、どちらにしろ、社会で共有されている“価値ある人生”ていう認識の軌道にはのれないってことだなーとしみじみ。

でも、なんかそんなに悲壮感でいっぱいになったりはしなかったんですよね。たぶん、自分の実感として日々ハッピーだからかな。単純だけど、これが一番の理由でしょう。なんとなくぼんやりとでも強固に共有されている「こうなれば幸せ!!」みたいなモデルにはまれない規格外の不良品でも、まあ、おめでたい表現かもしれませんが、自分の心の中にある内発的なハッピー感は消えないんですよね。ま、言い換えてみれば、社会で共有されてる価値観の通じない非常識人ってことなんじゃないの?みたいな感じはするのですが^^;幸せならそれでいいじゃない、非常識人万歳(笑)

結論としては、まあ、私は見た目さえない人生だけど、実は結構幸せです、ということを書きたかったんでしょうか。

おお、文字通り「随想」、思うままキーボードをたたいたら、一応コンクルージョンらしいところまでたどり着けた(笑)。

でも、今読み返してみたら5つめのパラグラフ(というほどのものでもないが)の前半は文脈的に若干寄り道してるわね。まいっか。

posted by はな at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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